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[馬場さんってこんな人!]

馬場能久(ばば・よしひさ)

・昭和24年生まれ、福岡県八女市龍ヶ原出身
・国士舘大学政経学部政治学科卒業
・23才の時にプールで首の骨を折り障害者となる
・昭和49年、神奈川県厚木より故郷八女市に帰る。以来、自分とは何か、人間とは何かを探求し、日本の本質、生命の本質を探究する。
・昭和61年2月より平成13年8月まで自己の思索を綴った私信「八女便り」を84回に渡り発信。     
・平成13年、福岡市に転居。以来日本の具体的立て直しに煩悶する。
・現在、維新政党・新風福岡県本部副代表
・外務省管轄(財)国際平和機構評議員
・北朝鮮に拉致された日本人を救う会会員
・日本再生ネットワーク会員

[馬場よしひさの政治理念]

馬場よしひさが維新政党・新風に入った理由

 私は政治家を目指して生きてきたのではない。私のこの世の役割は友人知人に自分の考えたことを手紙で書くのが本来で、政党に携わる気持ちなど少しもなかったのである。それがある先輩に維新政党への協力を頼まれたのがきっかけで、党友になり、党員になりと深みに入って行ったのである。

 (当初)党員にならなかったのは、私は五分と五分の付き合い以外はお断りする人間であったからで、たとえ相手が代表であろうと国を思う気持ちに於いては対等としか考えない不遜な人間である。

 従って、逆に若者に対して国を思う気持ちに於いて皆同じだという気持ちである。それが党員になって党の組織に入ったのは、維新政党・新風と名乗る政党に属する以上、維新という名前に恥ずかしくない中身のある政党に育てなければならないという気持ちがわき上がったからである。

 維新というと右翼の言葉とか、明治維新、右からする暴力革命の様に思う人もあるが、そんなことは作られた間違った観念であって、本当の維新というものは、生命の日々移りゆく姿、日々改まり行く姿のことである。目に見える形で言うなら、新芽が大地を破って出てくる姿、あれが維新である。生命哲学というものがあるが、難しく言えば生命の本質は絶対にして永遠である。
 この生命の本質に立つ創造が維新である。

 革命と違うのは、立つところがイデオロギーではなく、生命の本質であるというところなのだ。
 日本という国は人工的国家ではない。自然の生命を理想となし、これを人間世界に顕現したものであって、その本質は、自然の生命そのものである。自然に革命はない。革命は永遠の断絶であり、従ってそこに永遠なる生命は存在しない。

 あるのは維新だけである。だから私はこの名前を名乗る政党を放っておけなかったのである。難しく言えばそういうことだが、簡単に言えば、自然生命の生成発展する姿である。なーに自然なんか持ち出さなくても、私達の命を見れば良いことだ。私達の肉体的生命をは日々維新されている。私達の存在そのものが永遠にして絶対なのである。

 私が求めているものは、日本が日本であってもらいたい、そして国民一人一人がイキイキと生き抜いてもらいたい、ただそれだけである。
(ブログ『馬場よしひさ、真実を語る。』"生きることの本当の姿を忘れた日本"より)

近代化とは何か

 私はイスラム世界をこのままにしておけば、ここから現代世界の破綻が生じ、第3次大戦が近い将来の数十年後に勃発すると考えている。そうならぬ為には、イスラムの近代化が必用であり、イスラム世界に民主主義が芽生えなければならぬと考えている。その為に我が国やアメリカなどの先進国の協力が欠かせないし、真にそれを出来るのは我が国日本を置いて他にないと思う。
 近代化とは世界と密接に繋がった国造りと言うことである。

 民主主義とは個の自覚による人間社会の建設である。

 これらはイスラム文化の破壊ではない。そんなものなら彼等にとって必用だなどと私は考えない。そうではなく、科学の発達は人間の現実世界に変化を生じ、人間社会に文化文明の転換を余儀なくさせた。イスラム世界も又世界の一員としてこれを受け止めねばならない。そうでなければイスラムの民は世界の人々と共に生きられない。近代化とは西洋化ではない。民主主義の導入は西洋文明への隷属でもない。これらにはいずれも西洋文明に発したが、その意味するところは既に西洋という枠を超え、人類そのものの共有価値観となっているものだ。これらはそれに値する内容を伴っているのであって、血管はあるがこれらを人類のこれからの歩みから切り放つことは決して出来るものではない。西洋から発した近代化と民主主義はそれ故に重大な欠陥を持っているのは事実である。たからこそ、西洋に文明の変革を迫っているのである。民主主義と近代化は既に西洋世界の手を離れ一人歩きしている。西洋文明から生まれた故の欠陥を是正して真に人類共有の価値観とするのは全人類の緊急の課題である

 アメリカやイギリスがイラクやイスラムに自分たちの民主主義を押しつけをやろうとしているが、これは必ず失敗する。そうではなく、イラクとイスラム世界の人間自らが、自分たちの価値観に根本的欠陥があることを自覚し、その是正には近代化と民主主義の導入が欠かせないのである。そのことによってのみイスラエル問題もまた解決できるのである。もしイスラムが、近代化と民主主義の導入に成功したならば、イスラエル1500万の民を地中海の藻くずとなすことなど、手のひらのゴミを吹き飛ばすよりも簡単なことである。そして、その圧倒的力を持って「我々と共に生きるのか、それとも地中海の藻くずとなるか、いずれかを選択せよ」と迫ることが出来る。その時にのみ中東に真の平和が達成されるのである。イスラムがイスラエルの存在を許してやるという圧倒的力の差が達成した時にのみ真の平和は訪れる。

 その将来を切り開けるかどうか。イラクで再び神が勝利するならば、中東はこれからも世界の火薬庫のままであろう。
(ブログ『馬場よしひさ、真実を語る。』"イラク総選挙の意味するもの"より)

若者に望むこと

 私が若い人達に望むことは、戦後の常識にとらわれないことである。そうではなく、真実の探求を為してもらいたいのである。戦後の作られた価値観ではなく、自分の手で真実の日本人の歩みを発見してもらいたいのである。自分の目で見なさい。自分の魂で物事を感じなさい。私達の先人が何を感じ、何を考え生きていたか、直截に彼等が残した文字を読み心で教えを学びなさい。
 他人を入れるな。自分の魂で感じなさい。判断しなさい。ということである。

 戦後の教育はイデオロギーに汚染され、もはや若者の魂は輝きを失った老人の如きである。若者が真実の探求を忘れると言うことは、そこに生きることの真実がないことの証しだといってよい。今日本を救うのは若者の真実を求める探求心にある。大人達に毒されてはいけない。

 自らの祖先と自らの社会に誇りを持てないことは人間として失格である。我らは人間である。
 人間は誇りある存在だから父母を尊び祖先を敬うのではない。我らが父母を敬うのは自分の父母だからである。人にして父母の恩を知らざれば人と言うべきではない。我らの歴史にプライドを持つののはそれが正しいからではない。我らの祖先だからである。祖先を敬うのに他になんの理由がいろうか。それだけで十分である。祖先を敬うのは何故にか?と聞かねば分からぬ若者を生む社会は人間社会とし奇形である。

 我らは日本人である。中国人でもなければ、朝鮮人でもない。我らは彼等が憎もうがののしろうがその日本人の子孫であって、世界の中でその日本人の心を最も知る者でありたい。

 信じるものでありたい。庇うものでありたい。真実を知る者でありたい。
(ブログ『馬場よしひさ、真実を語る。』"大東亜戦争を語る"より)

民主主義とは何か

 先ず私の言う「真の民主主義」とは何かということから述べます。民主主義は確かに西洋で生まれたものでありますが、併し、民主主義というものを通して世界の人々が描いている民主社会は、西洋文明から発した民主主義という理念を超えたものであり、主義(イデオロギー)を超えた人類の普遍的価値にまで成長するものであると私は考えております。私はその「人類の普遍的価値」にまで成長する民主主義を、「真の民主主義」と申しているのであります。私はイデオロギーとしての「民主主義」を「戦後民主主義」とか「西洋民主主義」と言い、それは限られたものであって、人類世界では通用しない限界あるもの、いずれ反「イデオロギー」や反西洋化が現れ、消え去るものと考えております。併し戦後の世界の民主主義の流れを見ていると、そうではなく、民主主義はいずれイデオロギーを超えたものになるものと感じております。その可能性を開くものと考えられます。

 歴史を人類史という大きい物差しで考える時に、例えば日露戦争は一大転換点をなすもので、それまでの500年の西洋の世界支配と歴史の流れを最後の一点で食い止め人類平等という普遍の価値観を実現したものでありました。日本はその人類の普遍の真理を実現した故に、西洋の中に黄禍論が出ても、世界の識者と世界の虐げられた人々はこれを認め喜んで受け入れたのであります。その普遍的真実である人類平等という流れは日本だけのものでなくなり、世界の大流となってその後の世界の根底をなし、人々を解放していくのであります。

 民主主義もまた同じです。もっと長い人類史という時間で考える必用があります。これは「日露戦争」とか「白人の東方侵略」という数百年の歴史の流れより、もっと大きな長い人類世界史の流れを捉えて考えるべきものであります。人類の誕生から今まで数十万年とか一〇〇万年とか言われていますが、誕生から文明の発する時代を「人類が生まれたままの時代」と捉えれば、それ以降を「文明の時代」、「人類覚醒の時代」として区別することが出来ます。そしてそれこそが人間の人間たる時代の始まりであります。文明の誕生、即ち人間の覚醒は世界各地に「民族文明」を誕生させました、そしてそれは更に、「国家の覚醒」を生みました。国家は必要悪としての存在ではなく、民族から更に細分化した人間価値観の深化であり、それは「近代国家」に成長し、そして人類は今「民主主義」を手に入れました。人類の覚醒の歴史は、「人間の覚醒」から「民族の覚醒」へ、「民族の覚醒」から「国家の覚醒」へ、「国家の覚醒」から「個の覚醒」へと更に深化しているのです。この「個の覚醒による人間社会」の根底をなすものを私は「真の民主主義」と言っているのであります。

 私は更に、民主主義は深化すればするほど民主主義ではなくなる、イデオロギーではなくなると考えております。そこのところが民主主義の本家本元の西洋には、本家であるが故にきちんと見えないのではないか、それであるが故に米国という西洋民主主義の最先端国家は現代に於いて求められている民主主義の実現において限界があるのではないかと思います。

 以上が真の民主主義というものについての私の考えです。次ぎに現代民主主義について書くことにします。

 私が現代民主主義と言う時、私の中で2つの意味がある気がします。それは米国が作成した憲法に基づく戦後日本の民主主義であり、他の一つは西洋文明に立脚した欧米の今の民主主義であります。

 日本での占領軍が作成した憲法に基づいたところの民主主義、イラクで今押しつけられている民主主義、これらは真実のものではありません。それは偽物の民主主義です。よく言っても西洋の民主主義に止まるものです。イデオロギーであって普遍的ものではなく、そこには限界があります。

 東京裁判が勝者の裁きであった故に、国際裁判はその後の普遍的価値観とはならず、世界はその判決を認めず、敗者は納得しないというものに成り下がり、パール判事が懸念したように、世界から信頼する価値観を失わせ人類を混乱に陥れましたが、それと同じものです。普遍的真実と言うべきものではありません。米国の民主主義ではイラクは納得しない、イラクが納得してもイスラム世界は納得しないのであります。

 そうではなく、真の民主化とは、個の覚醒による人間社会の実現という、とんでもない大きなものであって、イスラム教と何も矛盾しないものであるのです。そこまで米国の民主主義が行っていないところに米国が失敗せざるを得ない原因があります。本当はイスラムにとっての民主化とは、それまでのイスラムの文化や価値観・生活を根本から大きく揺るがすものでありますが、イスラムの否定ではなくて、それどころかイスラムの教えの深化をもたらすもの、イスラム世界の新たな展開となるものです。

 繰り返しますが、真の民主主義、真の民主化とは、個の覚醒を根本とする人間社会の実現であります。

 しかし、今の民主主義はまだ国民主権主義という国王神権説に対抗するイデオロギーとしての残骸を残しており、権利の思想が色濃く、この程度の次元の民主主義では自分の権利と他人の権利が対立し、自分の権利と社会の利益や非秩序安寧とが対立し混乱をもたらすこと必然であり、このままの民主主義をイラクに押しつければ、国内の保守と革新による対立は避けられず、混乱は凄惨を極めること必至です。併し、民主主義というものを通して人類が憧れているのはそうではありません。それは個の解放であり、個の自由の獲得であり、それらによる自己実現であります。その人類が憧れている自己実現を、他と或いは社会国家世界と言った全体と対立せぬ真実のものとして実現するに必要なものが個の覚醒を促す社会であるのです。
 個の覚醒した社会とは、私達個々が(人間の真実、生命の真理を自覚して)主体的に生きて行く社会のことであります。それは個即全、全即個という生命の真理においてのみ実現されるものであります。ここから人間の生きる真実は生まれるのでありまして、真の民主主義はこれを具体的に実現できるものだと私は考えておるのです。

 しかしながら、西洋文明に立脚したところの民主主義では、個と個の権利も生き方も対立するなど、個と他が対立しており、その上の次元の個と全も対立しています。ですから、その中での平和は他への屈服か妥協でしかありません。米国の押しつけた憲法に立脚したところの戦後(日本)民主主義は、社会にキリスト教の背景がなく、全くイデオロギーの範囲内のものであり、全体と個を対立させるだけでなく、全を悪となしこれを否定しています。併し、人間社会は人と人が対立して生きているたでけのものではなく、共に支え合って生きているところのものです。ところが戦後日本社会はこの全体としての国家を悪として否定しています。いかに自民党が愛国を主張しても、それが人間の自然な心だと主張しても、それは民主主義に反するのだという風潮が止むことがありません。それは現行憲法が日本国を悪として否定しているからです。国家を悪としているのです。自分の祖国を愛することを人間として間違っていると教えるような国は世界に一国もないでしょう。然るに戦後日本ではそれが常識です。憲法がそうだと教えているのです。自衛隊のことを国民の誰もが必用だと考えても、自衛隊は憲法の理念から言えば憲法違反なのです。ですから純粋に戦後の憲法に立つ者ほど自衛隊は憲法違反だと考えるのです。こういった、人間の自然な心や日本国の価値観を否定する憲法を平和憲法となし、世界に誇る憲法だと内外に宣言するような現在の状況は、洗脳社会そのままの状況です。人間の本末を全く逆転させているのです。これでは民主主義は所詮イデオロギーの次元のもので、人類の普遍的存在にはなり得ず、いずれ消え去るものとして考えなければなりません。

 余りに前半が長くなりすぎましたので、後半が極端に短くなりましたが、言葉が足りない分はご賢察を願います。私が真の民主主義と現代民主主義を区別するのは、この様に民主主義は人類を真実社会に導く能力を持つまでに至っており、早く現代民主主義と真の民主主義を違うものだとして区別しないと、今現在の民主主義の欠陥の為に我が国だけでなく、世界をも西洋とイスラムの対立を激化させるなど混乱させてしまいかねないと推察するからです。
(ブログ『馬場よしひさ、真実を語る。』"真の民主主義と現代民主主義の違い"より)

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